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12月2日の勝者

背景写真はAP通信

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12月2日の「イスラーム擁護のための行動 パート3」は、一部暴動になった11月4日のパート2と同様に大規模な動員が行われ、独立記念塔(モナス)広場を20万人ともいわれる群衆が埋め尽くした。アホック知事の「冒涜発言」は一連の出来事のきっかけでしかなく、一部メディアによる「イスラームの急進化」(あるいは中東化)という解説は多面的な問題のほんの一部を切り取った見方に過ぎない。もう20年以上、「穏健なインドネシアのイスラームが急進化した」という枠組みで物事が説明され続けている。いわば、「最近スリや置き引きが増えています」という注意書きのようなものである。「急進化」や「保守化」の傾向がないとはいわないが、類似のデモはこれまでも多数あり、今回の件が大規模になった理由にはならない。なお、政治的手段としての宗教冒涜罪の利用は、2000年以降すでに頻繁に行われるようになっている。

では、何がデモを大規模化させたかといえば、以下のような異なる利益を持つ人々が合流したからだといえるだろう。(1)現政権(中央および首都)に政治的・経済的な利権を奪われたイスラーム急進派(≒ヤクザ)、(2)アホックのこれまでの政策(ヤクザや貧困層の立ち退きと街の浄化)および歯に衣着せぬ発言(暴言)への不満層、に(3)2017年2月の州知事選さらには2019年大統領選に野心を持つ現政権(首都および中央)への対抗勢力が加わり、さらにピクニック気分で参加した(4)個人攻撃よりも「イスラームの擁護への平和的行動」という広い枠組み(フレーム)に乗った「敬虔な」ムスリム(テレビ説教師らの動員が大きかった)、と整理できる。(4)には知事の乱暴な物言いに薄々嫌悪感を持っていた(2)の人々を含む。11月4日は「金曜礼拝後のデモ」だったが、12月2日は「金曜礼拝そのもの」を野外で大規模に行う、ということで参加の敷居がさらに下がった。

ジョコウィ大統領は、11月4日以降、政界および宗教界のエリートと会合を重ねて、「国民融和」を強調してきた。治安当局は、アホックの容疑者として認定し、デモを「超平和的」に終わらせることに協力するとともに、一部で「国家反逆(makar)」の動きがあるとの発言を流していた。そしてデモ当日、12月2日の早朝に国家反逆や大統領侮辱の嫌疑で、10名を拘束した。強権発動の脅しとともに、容疑者にいわゆるイスラーム急進派のメンバーが含まれていなかったのも特徴的だった。「イスラームの擁護」というデモの名目を否定せず、しかし主催者の正当性に疑念を投げかけたのである。

12月2日の「金曜礼拝」には、ジョコウィが大統領官邸から雨のなかを歩いて飛び入り参加、デモをいわば乗っ取った。ジョコウィは「イスラーム(急進派)を敵視しているわけではない」、「自分もムスリムである」とアピールしつつ、「国家と宗教的多元性の擁護者」(下記イラスト参照)というポジションも維持した。12月2日のデモの動員と正当性をめぐるフレーミングの争いにおける勝者は大統領だった。

アホックが州知事選に負けると、浮上するのはユドヨノ前大統領の息子で元軍人のアグス・ユドヨノであり、2019年の大統領候補に名乗りをあげることになる。11月4日以降、ジョコウィは大半の政党指導者に会ったが、ユドヨノおよび彼の民主主義者党指導部とは面会していない。2019年に向けた権力闘争が、華々しく切って落とされた一ヶ月だったともいえるだろう。

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