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スピリチュアリズムの勧め

Mempromosikan Spiritualisme

· Haidar Bagir

Selamat Idul Fitri. Mohon Maaf Lahir Batin.

断食月が終わって、ムスリムにとっては最大の祝祭の時期である。インドネシアを代表する知識人の一人ハイダル・バギル(Haidar Bagir)の著書『神のイスラーム、人間のイスラームー混乱した時代の宗教とスピリチャリティ』(Islam Tuhan, Islam Manusia: Agama dan Spiritualitas di Zaman Kacau, Mizan: Jakarta, 2017)の一章(抄訳)を本人に許可をいただいたうえで掲載する。

 本章で主要なテーマになっているスーフィズムとはイスラームにおいて自省的な内面探求を重視する思想や運動を指す。神との合一を説く神秘主義を一つの核とするため、一般にイスラーム神秘主義と訳される。神秘主義は仏教でいえば密教に見出すことができる。スーフィズムは世界的な教団(タリーカ)組織を持つが、その宗教行為は教団に属さない一般のムスリム民衆の間でも実践されている。具体的には、聖者廟への参拝や神の名を連禱する修行(ズィクル)、神への愛を歌う詩の朗誦などを行う。

 著者ハイダル・バギルは、内面(ここでは高貴な徳性)を探求するスーフィズムは現代社会のニーズに答えており、イスラーム的政治秩序の構築を目指すイスラーム主義や厳格な法解釈を行うサラフィー主義への対抗手段ないし処方箋になると考えている。

 未来についての壮大な予言が、ずいぶん後になってから本当だと分かることがある。20世紀初頭のアメリカの哲学者で心理学者のウイリアム・ジェームスの予言はその一つに数えられるだろう。1904年に出版された著作『宗教的経験の諸相』では、「『科学』が何をしても最後まで人類はこれを崇拝するだろう」と述べられている。

 実際には、ジェームスの予言は逆になっている。信仰すること(生活様式としての意味を強調するために、ここでは意図的に「宗教」とは呼ばない)は科学の発展と世俗的な生活様式の強化とともには後退しなかった。ピーター・バーガーのような代表的な研究者を含め、多くの社会学者は「転向」を強いられ、人類の信仰はむしろ強まったことを認めざるをえなくなった。

 その原因は、宗教を「殺す」と思われてきた科学と技術の進歩と世俗的生活様式の行き過ぎが生んだ。ジル・ケペルらが主張するように、世俗主義は失望を生んできた。社会の分裂と不満、価値観に対する信頼低下、かつては逸脱だと思われてきた事柄が許容され、犯罪の増加、問題解決の道具としての法律の失敗、消費主義の虚しさ、物質主義、家族制度の後退などを理由としている。その結果、「アイデンティティの新しい源泉、安定した社会の新しい形態、人生の意味と目的を取り戻すための新しい道徳のツール」(ハンチントン)に向かわせることになる。

 残念ながら、宗教復興現象は、信者自身によって宗教の「禁じられた子供」とみなされるものを生んでいる。それは原理主義や過激主義である。宗教の信者は、過剰な世俗的生活による戸惑いと混乱、倦怠によって、原理主義的で、すべてを統合するような教義理解、そして自分だけが真実の源泉であると語るような教師に「感染」させられてしまう。このような人物は自身の正しさだけではなく、他の解釈は必ず間違っていて、信者を天国から遠ざけると主張する。こうした教師から彼らが探し求める救済や心の平安を得てしまう。

 良い傾向としては―本来自然な現象であるが―一連の宗教復興は原理主義と対立する伝統的な宗教のあり方の再興も生み出している。これこそがスピリチュアリズム(精神主義・霊性主義)と呼ばれる現象である。宗教におけるスピリチュアリズムだけではなく、スピリチュアルだが宗教的ではない傾向もある。秘教的な傾向を持つ東洋の宗教の以外では、与えることに重きをおくとみなされるキリスト教、イスラームはより深い分析においてはスピリチュアルと愛のニュアンスが顕著である。スーフィズムの側面は、イスラームのなかですでに長い間成熟している。人々を神に近づける様々な行為、現世的な喜びを遠ざける内的な技術、死についての苦悩からの解放、といった事柄を提供することによってスーフィズムは原理主義と過激主義の傾向に対する強力な競争相手になることができる。

 あるいはスーフィズムは現実逃避の一種なのだろうか。まったくそうではない。精神の集中から生まれるスーフィズムの過程の頂点においては、高貴な徳性が発達する[1]。徳性や道徳はまさに近代の人間生活に欠けているとみなされ、多くの人々にとって不満の元凶であり、ひいては宗教におけるいらだちを生む機会になっている。高貴な徳性は、先進的な科学技術やさまざまな世俗的な活動を、人間性を高め、生活や自然環境の豊かさを生むという目的に合致させるために必要である。

 スーフィズムは宗教の原理主義と過激主義の解毒剤になる。それは憎しみと相手を貶めあう競争ではなく、愛、平和と協力を勧めるという点で長所がある。そして、神聖な被造物である人間は、つねに紛争ではなく平和を望むという信念がわれわれにはある。スーフィズムの実践によって、我々は進歩的、公正、平和的で豊かな人間の文明を発展させる組織としての宗教の機能を取り戻すことができるのである。

 

[1] 訳注:「高貴な徳性」は、英語起源のmoralitas(道徳、徳性)とジャワ語起源のluhur(高貴)で表され、カッコでアラビア語起源のakhlak、サンスクリット/ジャワ語起源のbudi pekertiが付されている。ここで言及されている道徳や徳性が、イスラームに限定されないものであるという著者の意図が示されている。

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