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ジャカルタ・テロ事件のインパクト

月間『東亜』3月号掲載原稿(PDF

· Militants,articles

 二〇一六年一月一四日にジャカルタ中心部で複数の爆弾が立て続けに爆発し、警官とテロリストが銃撃戦を繰り広げた。インドネシアの大都市や観光地における無差別テロとしては二〇〇九年以来の出来事であった。犯人グループはいわゆる「イスラーム国(以下IS)」の支持者であり、昨年一一月にパリで起こった事件を模倣していた点でも大きな注目を浴びた。一月末にはマレーシア国民に対して、ISに加わることを求めるビデオが流された。日本にとって身近な東南アジアにおいても、テロの脅威は高まっていくのだろうか。ジャカルタ・テロ事件の背景をさかのぼりながら、検討してみよう。

 事件が起こったのは午前一〇時半過ぎである。国営のサリナデパートを挟んで、北向かいのスターバックスカフェで一人が自爆、西に向かって片側六車線の大通りを挟んだ中央分離帯にある警察の詰所でも爆発があり、その後警察との銃撃戦になった。その過程でさらに複数の爆発があった。いくつかの爆発は防犯カメラに映っており、銃撃戦は居合わせた一般人やメディアのカメラのまえで行われた。実行犯四人は自らの爆弾ないし、銃撃戦で死亡、テロの巻き添えとなった犠牲者は四人であった。警察は数時間後には、シリアに渡航しISに合流しているインドネシア人のバフルン・ナイムが作戦を指示したとの発表をした。バフルン・ナイムは昨年一一月にシリアからテロの「コンサート」を開催するよう指示を出しており、数度に渡ってインドネシアに送金していた。昨年末にはテロ計画が発覚し、五都市で武器などが押収されており、事件後も数日のうちに各地で十数名が逮捕された。ここまでが多くのメディアで報道されたことである。

 その後分かってきたのは、インドネシア人ISメンバー間の分裂と競争がジャカルタでのテロを呼び、さらなるテロの危険性を高めている、ということである。対立する派閥が「成果」を競い合っているというのである。ISの指導部は二〇一四年九月にはそれぞれの出身国でのテロを呼びかけており、昨年九月にはインドネシアやマレーシアで日本の在外公館を狙うよう指示を出しているが、こうしたISの方針は基本的に無視されている。シリアにいるインドネシア人の分裂が事件の前景だとすると、中景となるのはトルコによる国境管理の強化である。昨年だけでISへの合流を目指してトルコ経由でシリアに渡航しようとした二〇〇人ほどが国外退去となり、インドネシアに帰国している。IS内のインドネシア人派閥は戦力を強化することができず、またそれまでシリアでの闘争に加わることを最優先としてきた人々の目が国内に向くようになったのである。

 では後景にはどのような歴史と組織があるのだろうか。インドネシアの反体制イスラーム勢力が国際的な武装闘争の戦列に加わるようになったのは一九八〇年代末に、アフガニスタンに人員を派遣し、思想的な感化と実戦的な訓練を受けてからである。一九九八年の民主化に前後して、インドネシア国内の一部地域で宗教間の対立が高まると、彼らは国内に闘争の場を得た。現在四〇歳前後の層にとっては国内での戦闘経験がスキルとネットワークを形成する重要な要素になった。九・一一事件の翌年、二〇〇二年にはバリ島で初めての大規模な自爆テロ事件が起こる。その後二〇〇五年まで四年連続、さらに二〇〇九年にジャカルタやバリ島で欧米資本のホテルや大使館、観光客を標的としたテロが起こった。そのすべてが自爆テロである。この過程で、多数の逮捕者が出て組織は大きなダメージを受けた。ほとんどの被害者がイスラーム教徒であったことも、組織の内外から批判を受けた。二〇一一年以降は、警察官を標的とする銃撃事件が散発したが、無差別の殺傷事件は起きていなかった。ただ、彼らは武装闘争を放棄したわけではなかった。

 二〇〇〇年代末から、オマン・アブドゥルラフマンという人物が指導者として台頭した。彼はそれまでの外国人を標的とする「グローバルな闘争」を批判し、彼らを抑圧する「身近な敵」であるインドネシア政府の打倒と国内拠点の形成を優先すべきであると主張した。オマンは既存の主要組織に属したことがない、異色の指導者である。二〇一〇年に企画した超組織の軍事訓練が露見して逮捕されたが、刑務所内からも闘争を鼓舞するメッセージを発し続けた。オマンの支持者は、既存の組織とは別に、各地に小集団を形成した。彼が批判した「グローバルな闘争」はアル=カーイダが志向してきたものであり、地域的な拠点の形成はISにつながる考え方である。二〇一四年六月にISの樹立が宣言されると、オマンはインドネシアにおけるISの代表者となった。しかしアル=カーイダとISの決裂はインドネシアにも影を落としている。オマンに忠誠を誓うものたちは、既存の組織を超えてIS支持者をまとめようとしているが、必ずしもうまくはいっていない。世界最大のイスラーム教徒人口を誇るインドネシアからISへの参加者が数百人に止まっているのには、こうした背景がある。なお、インドネシアでは組織に関わらないいわゆるローンウルフによるISへの参加やテロ事件は極めて例外的である。

 前述のように、一月一四日の事件は、シリアにおけるインドネシア人ISメンバー間の対立が直接の原因となっている。内紛はインドネシアの刑務所にいるオマンを巻き込んでおり、テロを起こしたのはオマンに近いグループのようである(警察が名指ししたバフルン・ナイムの関与はなかった)。こうした内紛と示威的なテロは、中長期的には組織の一層の弱体化を招くであろう。不幸中の幸いというべきか、今回の実行犯のスキルは低く、銃撃に使われたのも短銃だった。二〇〇九年までのテロと比べても、作戦の未熟さは明らかであった。しかし、もし実行犯が自動小銃を持っていたら、それだけで事件の展開は大きく変わっていたはずである。上のような説明が正しければ、当然今回の実行グループと対立するグループが、自らの優位を示すために、より綿密な計画を立てようとするだろう。もっとも状況がここまで分かってきた段階でのテロの実行は容易ではない。二〇〇〇年代前半に比べるとインドネシア治安当局のテロ組織に対する理解や捜査能力は高まっている。治安維持法があり武器の取り締まりも厳しいマレーシアやシンガポールでの犯行はさらに難しいだろう。インドネシアの問題は摘発のあとである。今回の事件の実行犯には二〇一〇年の軍事訓練で逮捕され、出所したばかりのものも含まれていた。刑務所で感化され、過激化するケースも少なくない。テロ事件後にインドネシア政府は反テロ法の改正に乗り出したが、むしろ刑務所の管理、出所者やシリアからの帰国者の社会復帰支援などのプログラムが短期的にも長期的にも重要になるだろう。

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