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注釈の多い閉店セール

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 さて、2016年末のアホックの「宗教冒涜」発言以降、抗議運動の発展と政権側の対応について論じてきた。いまのところ11月頃まで日本語では何もでる予定がないので、ここで一区切り、この1年何を書いてきたのか振り返っておきたい。ご興味がある方はお付き合いください。

 抗議運動の性格については「インドネシアのイスラームと政治――「宗教的寛容」のゆくえ」(『シノドス』2018.7)に書いた。いわゆるイスラーム主義者の一部が抗議運動を組織したわけだが、動員の方法や演説の内容を検討すると、表面的な印象とはずいぶん違って見える。もっと一般的な説明は「インドネシア・イスラーム『保守化』の真相ージャカルタ州知事宗教冒涜事件を読み解く」(『外交』2018.7-8)に書いた(なんてタイトルなんだ・・・)。近年いわれている「イスラームの保守転回 conservative turn」は、何が、なぜ、どう変わってきたのかを慎重に見極める必要がある。ごく一部の日本語メディアでは、保守派と過激派(どう呼ぶかはともかく)の区別がついていない(あえてつけないのかも)もあった。

 抗議運動が反ジョコウィ、プラボウォ支持という大統領選の文脈とはっきりと結びついていく過程については「インドネシアにおける『イスラームの位置付け』をめぐる政治的闘争」(『国際問題』2018.10)に書いた。

 4月17日の選挙翌日に締め切りだった「インドネシア大統領選―『社会の分断』と民主主義の緩慢な後退」(『世界』2019.6)では、大統領側の対抗措置の「行き過ぎ」を指摘し、タイトルにあるように「民主主義の後退」局面だと捉えた。『21世紀東南アジアの強権政治―「ストロングマン」時代の到来』(明石書店、2018.3)に書いた原稿の続編。選挙結果が明らかになっていく過程で、「インドネシア大統領選挙―『二極化』の虚実」(『外交』2019.5-6)と題して、これまでの「社会の分断」が選挙結果にどう反映されたのかを分析した。

 最後に、「社会運動が牽引したインドネシア大統領選の『分断』」(IDEスクエア)では、大統領選から少し距離を置いて、大統領選の両陣営のいわば両端に位置する福祉正義党(PKS)とインドネシア連帯党(PSI)に焦点を当てた。大統領選をめぐる分断は、エリート間の一時的な権力闘争の表れにすぎないともいえる。ただ、イデオロギー的な対立もやはり背景として押さえておくべきで、むしろその主戦場はジェンダー問題だというのがこの原稿の主張。

 中央の政治動向の分析は、スピードと緊張感があり楽しい一面があるものの(あとお金をもらえる)、人と違うことを言うのも困難だった。正直、多くの原稿では本名純さんや川村晃一さん、あるいはNew Mandalaに掲載された諸分析との有意な差異化はほとんどできなかった。こうしてタイトルを並べてみると、自らの発想の貧困さ(ネーミングセンスのなさ)をまざまざと見せられるようで情けない(とりあえず「分断」か「二極化」か最初に決めておくべきだった)。何より、こんなんをいくつ書いても学術論文にも研究書にもならない(やりようはあるだろうが)。この点、最初と最後に挙げた原稿は、直接研究対象とする集団からナショナルな政治の文脈を眺めたもので、書いていて一番楽しいものだった(これは論文にします)。そういうことを確認する意味ではいい機会だった。